日本語の将来を考える(2009年5月)

2009年5月度のビデオメッセージ

皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。

今月は日本語について考えてみたいと思います。

最近、いろいろな外来語が入ってきまして、次々と新しい日本語が生まれています。しかし、そのような新しい日本語をどのように磨いて美しいものにしていくのかということは、なかなか難しい問題だと思います。

例えば大学の世界をみましても、特に英語、あるいはフランス語、ドイツ語等の海外からの言葉が日本語として使われる場面が増えています。ところが、本来、それぞれの単語はかなり長いものなのですが、それを日本人が中途半端に、発音しやすいように、その一部だけを使って日常生活で済ませてしまうということが往々にして起きます。例えば「要約」という意味の「アブストラクト(abstract)」という言葉がありますが、これを最近の学生諸君は「アブスト」といいます。これは私の耳には大変聞きにくい、耳障りな言葉です。

あるいは、日本語そのものも変わってきています。「何かが困難だ」ということを、昔は「何々しにくい」といっていましたが、最近は「しにくい」という言葉はほとんど使われず、かわりに「何々しづらい」という濁音の言葉が使われています。しかし、濁った音は耳に美しく響きません。

また、本来の外国語の一部を無理やり切り取って使ってしまうというのは、言葉に対する冒涜ではないかという気がいたします。本来の言葉の長さ、抑揚、意味をしっかり考えながら、日本語の将来をみつめていくことが必要なのではないかと思います。

そのような意味で、一つの救いとして、研究社の英和辞典があります。私も高校時代からずっと愛用しているものですが、最新の版をみて大変感心しました。それは、それぞれの言葉について、「これはラテン語が語源で、ラテン語ではどのように使われて、それはどのような意味だったか」ということが書き加えられています。これは素晴らしいと思います。

そのように言葉の本来の意味をもう一度考え、それを日々の生活のなかで常に反芻しながら、日本語の将来をどう磨くかということを考える、ぜひこのようなことを試みたいと思うきょうこの頃でございます。

皆さん、どうもありがとうございました。

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