思い出の朗読会(2009年2月)

2009年2月度のビデオメッセージ

皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。

きょうは人間の死について考えてみたいと思います。

ついこの間、東海ラジオ放送の元アナウンサー、谷川明美さんを偲ぶ会を行いました。都心のレストランをお借りして、故人をよく知る10名あまりの人達が集まりまして、谷川さんの生前の活躍ぶりについていろいろな話を交わしました。2時間あまりの会でしたが、中身のある時間を過ごせたのではないかと思います。我々は人間の生というものを、ごく当たり前のもののように思いがちですが、やはり誰にでも死はやって来るわけです。そのようなことを考えながら、いまから約1年半前に谷川さんは乳がんで亡くなられたのですが、彼女を偲んで大変充実したお話ができたと思います。

谷川さんは、大変素敵な声の持ち主で、しかも大変落ち着いた話し方をされる方でした。いまのマスコミ、テレビやラジオ等をみておりますと、どうもただ賑やかなだけ、あるいは大騒ぎし過ぎている番組ばかりのような気がいたします。そのなかで谷川さんは、例えば美術館めぐりの番組を持っていらっしゃいまして、(いわさき)ちひろ美術館や金沢の21世紀美術館など、いろいろなところを訪問し、音楽を交えて、絵のお話や作家のお話をしていらっしゃいました。大変雰囲気の良い、落ち着いた番組でした。

実は私も一緒に企画をさせていただいて、そのような会を行ったことがあります。テーマは私の母のことでした。私の母は、18、19歳の頃に赤紙で招集されて、当時は従軍看護婦といっておりましたが、いまでいう看護師の一人として、フィリピンに従軍いたしました。米軍に追われて、標高3000mぐらいのプログ山を命からがら逃げ回り、最後は強制収容所のようなところに入れられて、数カ月後に痩せ細って日本に帰還しました。

母達は戦後、数十年経ってから集まりまして、そのときの従軍の模様を『遥かなりプログ山』という一冊の本にまとめました。私自身も「そのような記録を多くの方々に知ってほしい」ということで、5年ほど前に谷川さんにお話ししまして、「それでは、一緒に何かやってみましょうか」ということで、名古屋を中心に毎年2、3回ずつ、その本の朗読会を行うことにしました。いろいろな方々に聞いていただき、谷川さんも一生懸命その本を朗読してくださいました。

そのようなことを一つのきっかけにして、谷川さんは詩の朗読に大変関心を持たれるようになりました。例えば谷川俊太郎の「生きる」という詩など、いろいろな文学作品の朗読を手がけようと、かなり意欲を持って取り組んでいらっしゃいました。ただ、5年ほど前に乳がんを発病し、残念ながら少し進行の度合が早かったということで、いろいろな治療をしていただいたようですが、昨年の7月、わずか40歳の若さで亡くなられました。大変残念なことです。また近く彼女を知る人達が集まって、谷川さんのお話をする会を続けていければと思っております。

いま1カ所だけ間違えました。彼女が亡くなったのは昨年ではなくて一昨年の7月です。お詫びして訂正いたします。

皆さん、どうもありがとうございました。

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