精神力を鍛える(2011年6月)

2011年6月度のビデオメッセージ

皆さん、こんにちは。今月のメッセージをお伝えしたいと思います。

人間は運動をすると筋力が付きます。頭もそうだと思いますが、常にある刺激を受け続け、それに対して頭が動くという状態が実現されて、人間としての力が維持できる、あるいはさらに強化できるということなのだと思います。これは経験的な話です。

ここ40、50年、日本の社会を含めて、世界中が大きな変革の時期を迎えました。人間にとって肉体的にも精神的にも、どちらかといえば非常に楽な数十年が続いてきたといっていいのではないかと思います。例えば何かを望むと、それが比較的、実現されやすい状況になっています。100年前に比べると、人間の暮らし、あるいは精神生活にとって、はるかに楽な時代になってきたといえると思います。

これは裏を返しますと、実は非常に恐ろしい側面を持っているような気がいたします。つまり、人間が精神を鍛える、鍛錬する、心を磨く機会を失っている数十年でもあったのではないかという気がつくづくするのです。

例えば、マスコミからのいろいろな情報を我々は受けます。そのなかには政治家の醜態、失態のニュースも非常に頻繁に出てきますが、あれは決して政治家にだけ閉じた問題ではないのではないかという気が、私はしております。政治家は我々と同じ水を飲み、食事をし、空気を吸い、そして時代を感じている、いわば我々の代表選手のような方々なのです。政治家の精神力が弱っているとすれば、それはとりもなおさず、我々一人一人の問題で、どの人においても精神力が弱っていて、100年前に比べて物事を切りひらく力がはるかに弱ってきているという怖い時代に我々はいるのではないかという気がするのです。これは、やはり私達一人一人の問題で、決して一部の人達だけが弱っているわけではないのです。

その証拠に、百数十年前に日本の文豪達、あるいは世界の文豪達が書いた本を読みますと、いいようのない強い精神力、そして充実した心の力を感じることがありますが、そのようなものは、いま書かれた小説のなかにはありません。日本語も大変貧弱ですし、訴える力の弱い文化が、私達を否応なしに取り囲んでいるのではないかと思えてなりません。これが私一人の杞憂、誤解であれば幸いなのですけれども、どうもそうではないのではないかという懸念が非常に強いです。

我々は肉体を鍛えるためにいろいろな運動をしますが、それに相当することを我々の精神にも課していかなくてはいけないのではないか、人生の、あるいは人間一人一人の目標はどのようなところにあるのか、それに対して我々は日々、精神力を鍛える適切な、然るべき努力を行っているのかということを、もう一度、問題にしたいと思う、きょうこの頃です。

ありがとうございました。

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